コラム

2018.10.19

<連載>粋と洒落!江戸の広告作法「えどばたいじんぐ」 ③


                     
 
江戸の町人文化に華開いた、あの手この手の宣伝広告。そこには「粋・洒落」などの美意識の中で洗練された広告の作法がありました。世界に類を見ない独創的なアイデアや表現を当館のコレクションの中からシリーズでご覧いただきましょう。
*「広告」という言葉は明治5年に登場。江戸時代は引札、報條、告、報せ、口上などと呼ばれていた。

 

駱駝(らくだ)が江戸にやって来た!


1824(文政7)年8月、珍獣・駱駝(らくだ)が江戸にやって来た!
この錦絵は今風に言えば、ラクダの見世物興行を伝えたニュース速報であり、またイベントの告知ポスターでした。興行主が依頼、制作した『駱駝の図』は、当代人気の歌川国安の画、口上文は戯作者(げさくしゃ)・山東京山(山東京伝の実弟)の作。「ラクダは身の丈9尺、頭は羊に似てうなじ長く、脚に3つ節があり、座るときは脚を3つに折る、ゆえに乗る時便利なり。草木類を食すが、特に大根が好みである。重い荷物を背負っても1日100里の道を労せず。柔和にして人に馴れ易し。さらには霊獣としての効能もあり、ラクダの尿(いばり)は救命の霊薬なる。この錦絵を貼っておくと、子供の疱瘡(ほうそう)や麻疹(はしか)を軽くし、また、雷をも避ける。」と、書かれています。この錦絵は「御守り札」のご利益(りやく)もあったのです。両國の見世物小屋では、横笛やトライアングル、太鼓に囃(はや)され、日に何度も大観衆の前で芸をしていました。画中のラクダ使いは日本人で、演出のため唐人に扮装しています。ということは、このラクダのつがいには日本語が通じていたのでしょう。
江戸時代に渡来した珍獣は、これより100年ほど前、1728(享保13)年に、ベトナムから象が来ています。しかし、これは時の将軍吉宗が呼び寄せたもので、いわば、国賓待遇でありました。長崎を出て江戸にわずか74日で到着しています。途中、京都で天子様に拝謁しますが、そのために象でありながら、高い位階(従四位)に叙せられているのです。
それにひきかえこのラクダ夫婦は、初めから見世物目的で大阪の興行師が購入しています。1821(文政4)年6月、アラビア産のひとこぶラクダは、牡と牝のつがいで長崎港に渡来したのです。長崎を振り出しに、九州、四国、和歌山、大坂、京都と各地を巡業しながら、木曽街道を経て江戸に着いたのが3年後のことです。らくだは牡8歳、牝7歳とされ、見世物興行始まって以来の珍獣はいたるところでもてはやされました。道中も終始一緒で仲睦まじく、見物するだけで夫婦和合のご利益もあるとされました。
川添裕氏の著書『江戸の見世物』(岩波新書)によると、「ラクダの両国広小路での入場料は1人32文と高価であったが、日に5000人を超えることもあった。日延べを繰り返し、ついには半年以上の超ロングランに。空前の巨大興行収入は2千両にもなった。見世物小屋の周辺で売られた品々も錦絵はじめラクダグッズも多彩だった」とあります。その人気ぶりは流行り歌にまでなっていました。「ラクダ節」のひとつを紹介しましょう。
♪今度遠つ国からお江戸へはるばる夫婦で下りイ、あの両国で大根喰っちゃ遊んでまた、こいつア又、らくだろう♪ 
     



錦絵『駱駝之図』文政7(1824)年 山東京山作・初代国安画


執筆者プロフィール
アドミュージアム東京学芸員 坂口由之(さかぐち よしゆき)
1947年生。多摩美術大学卒業後、1970年㈱電通入社、クリエーティブディレクターの後、1997年広告美術館設立のため学芸員として参画。2002年「アドミュージアム東京」の開設時に企画学芸室長として運営に携わる。2007年(公財)吉田秀雄記念事業財団に勤務。現在はアドミュージアム東京解説員として勤務。日本広告学会会員



シリーズNO,3 「駱駝の図 」参考図書
・『見世物研究』 朝倉無聲(龜三)著  春陽堂刊        1928年刊
・『江戸の見世物』 川添 裕著     岩波新書        2000年刊 
・『江戸の教養』<遊びと学び>大石 学編著 角川ソフィア文庫  2009年刊
・『象の旅―長崎から江戸へ』 石坂昌三著 新潮社刊       1992年刊
・日本庶民生活史料集成(第15巻)谷川健一編集委員代表 三一書房 1971年刊
『我衣』加藤曳尾庵著 (駱駝の記述は文化7年)
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