ニッポン広告史

ニッポン広告史 江戸篇

江戸篇1603〜1868

町民文化が花開いた江戸の中期から後期。
商売繁盛のための「あの手この手」に、今日の広告のルーツがありました。

流行 人気の錦絵[にしきえ]は
まるでファッション広告!

越後屋店頭に3人の美女。華やかな錦絵が、江戸の名所・越後屋の繁盛ぶりをよく表しています。美女が着ている着物は、新作デザイン。錦絵は本来、庶民のための美術品でしたが、今でいうファッション誌やポスターのような役割も果たしていました。この錦絵はお正月の景品として配られました。

brand 看板やのれんは
商いの顔!

町が大きなにぎわいを見せ始めた江戸時代。商店の軒先を飾り、商いの目印になったのが看板。一目で商売がわかる商品模型の看板から簡素な文字看板、絵看板など趣向を凝らした看板が町にあふれました。

イベント 江戸っ子は
イベントが大好き!

人々の気を引いた、さまざまなイベントや見世物。興行のお知らせにも広告が大きな役割を果たすようになっていき、イベントの様子を伝えた引札や錦絵も人気がありました。人が大勢集まる場所は広告の場でもありました。

企業タイアップ 歌舞伎の劇中に
さりげなくアピール!?

市川団十郎家に伝わる歌舞伎十八番『助六由縁江戸桜[すけろくゆかりのえどざくら]』。劇中に「山川白酒」「袖の梅」「福山うどん」など、実在したお店や商品名が随所に登場。作品まるごと、企業タイアップのような演目になっていたのです。

マーケティング 商売のイノベーションは
チラシで告知!

商業活動が活発になるにつれ、登場したのが「引札[ひきふだ]」。現代でいうチラシです。日本で最初の引札は、江戸で越後屋が1683年に発行。新たな販売方法を導入した越後屋は、引札を使った告知を行い販売促進につなげました。

マーケティングの始まりは江戸時代!?

越後屋は、現金掛け値なし(現金正価販売)をはじめ、店前売り、仕立売りなど顧客本位の画期的な商法を連発し、店を繁盛させました。P・ドラッカーは『マネジメント』で、マーケティングは越後屋の創業者・三井高利によって始まる、と記しています。

ゲームアプリ トレンドを集めて
遊べる広告に!?

手軽な娯楽として庶民に楽しまれていた「絵双六[すごろく]」。お店や商品が織り込まれた広告用のものは、景品として配られ、人々に親しまれていきました。いわば遊びの中で上手に宣伝したゲームアプリのようです。

sns 今も昔も人気タレントの
影響力はバツグン!

7代目・市川団十郎と岩井紫若[しじゃく]が幕間に「江戸香」「広到香」と大書した看板を掲げて、歯磨き粉の口上を述べる姿(いわば生CM)を描いた役者絵。「ご評判よろしく、ご吹聴[ふいちょう]ください」というくだりもあり、クチコミでの拡散が促されていました。

おまけ 今でいうポスターやコミックは
この頃から大人気!?

木版印刷の技術が格段に進化したことで、出版活動が盛んに。江戸名物の色鮮やかな錦絵や大衆向けの絵入りの小説本・草双紙[くさぞうし](黄表紙[きびょうし])は、庶民に大人気(現代でいうコミック)。お店が独自に制作し、景品として配りました。

クロスメディア戦略 どこにでも顔を出す
「仙女香」

仙女香[せんじょこう]は、江戸・京橋で売り出された粉白粉[こなおしろい]。様々なメディアを使った巧みな宣伝活動を展開したことで有名です。草双紙の文中や錦絵の中などにさりげなく描かれ、川柳でも「仙女香やたら顔出す本のはし」などと詠まれていました。

粋と洒落で商売繁盛! 江戸の広告仕掛人[クリエーター]

奇才の異名をとる
日本で最初のコピーライター

平賀 源内

Hiraga Gennai (1728–1779)

自然学者であり、「エレキテル」の発明などでも知られる希代のアイデアマン。箱入り歯磨き粉「嗽石香[そうせきこう]」の引札での優れたコピー表現は、他のクリエイターにも影響を与え、引札の世界を一変させました。

引札集『飛花落葉』 嗽石香の宣伝文

滑稽本作者にして薬屋、
しかも広告クリエイター

式亭 三馬

Shikitei Sanba (1776–1822)

『浮世風呂』などの滑稽本の作者として名を馳せる一方で、化粧水「江戸の水」や売薬「仙方延寿丹[せんぽうえんじゅたん]」を発売するなど、商才にも長けた人物。息子・小三馬とともに広告を手掛け、クリエイターとしても一流の才能をみせました。

多くの才能を見いだした
敏腕プロデューサー

蔦屋 重三郎

Tsutaya Juzaburo (1750–1797)

今でいえば出版社のオーナー。その独特の目利きによって新人作家を発掘し、評判の良い草双紙作家や浮世絵師を世に出しました。山東京伝や喜多川歌麿、東洲斎写楽など数多くの才能を育てた人でもあります。

『画本東都遊』 蔦屋の店
(たばこと塩の博物館所蔵)

引札や挿絵も手掛けた、
文士第1号

十返舎 一九

Jippensha Ikku (1765–1831)

滑稽本『東海道中膝栗毛[とうかいどうちゅうひざくりげ]』『諸国道中金之草鞋[しょこくどうちゅうかねのわらじ]』が空前のベストセラーになったことで知られ、文筆収入だけで生計をたてた日本の文士第1号といわれています。引札や挿絵も手掛け、多彩な才能を発揮した人物です。

黄表紙『諸国道中金之草鞋』 越後高田の粟飴屋

デザインにも才を発揮した
マルチクリエイター

山東 京伝

Santo Kyoden (1761–1816)

江戸時代を代表する文化人の一人。黄表紙、洒落本の作者として才能を発揮。また、江戸・京橋に店を構え、オリジナルの紙たばこ入れを自らデザインしたマルチクリエイターでもありました。

江戸期の広告関連年表

1603(慶長8)年 徳川家康、江戸に幕府を開く
1615(元和元)年 かわら版登場(大坂夏の陣を伝える)
1616(元和2)年 『洛中洛外図屏風(舟木本)』ののれん・看板には、屋号・品名などの文字が見られる
1657(明暦3)年 明暦大火のあと看板の大型化と豪華さが競われる
1665(寛文5)年 京の案内記『京雀』刊行。後に『商人買物独案内』(1819・文政2)を生む
1683(天和3)年 越後屋が「現金掛け値なし」の引札を配る
1713(正徳3)年 2代目市川団十郎が初めて「助六」を演じる
1718(享保3)年 2代目市川団十郎が『若緑勢曽我』の中で「外郎売」を上演。口上が評判となる
1729(享保14)年 見世物として象がベトナムから長崎経由で江戸に到着
1749(寛延2)年 吉原「仲之町の桜」でにぎわう(イベントの始まり)
1765(明和2)年 鈴木春信らによる木版多色刷りの「錦絵」 誕生
1769(明和6)年 平賀源内が「嗽石香」発売の引札を書く
1792(寛政4)年 紅問屋玉屋が景物本として、山東京伝の黄表紙『女将門七人化粧』を客に配る
1794(寛政6)年 山東京伝と本膳亭坪平が初の広告コピー集『ひろふ神』を刊行
1800(寛政12)年 景物本、引札、各種看板広告が盛んになる
1802(享和2)年 十返舎一九、『東海道中膝栗毛』初篇刊行
1824(文政7)年 『江戸買物独案内』発刊
1845(弘化2)年 大坂で飴売り「飴勝」の売り声が評判となる
1867(慶応3)年 パリ万国博に公式参加/『萬国新聞紙』の第3集に日本人初の広告掲載/大政奉還
1868(慶応4)年 江戸開城/明治に改元