ニッポン広告史
明治篇1868〜1912
文明開化とともに、印刷技術とメディアが発達。新聞や雑誌が登場し、次第に広告メディアの中心を担っていきました。これにより新聞広告を取り次ぐ広告代理店が誕生。いまに続く、近代広告の歴史が幕を開けたのです。
新聞・雑誌という
ニューメディアが誕生!
新聞・雑誌というメディアが生まれ、情報が多くの人へ伝えられるようになりました。「新聞」は近代広告にとって大きな役割を果たしていきます。


アイデア勝負の
広告合戦
経済発展とともに、売薬やたばこ産業など新しい広告主が登場。紙巻きたばこの広告では、国産品と舶来品の広告合戦が注目を集め、景品や街頭宣伝など販売促進のアイデアを競いました。
広告の絵柄にも
文明開化の香りが
明治維新以降、社会や人々の生活は大きく変化。街には馬車や人力車、自転車が走り、ザンギリ頭や洋装が増えていきます。広告にも文明開化の姿と、その変化が映し出されました。

博覧会は近代ニッポンの
ショールーム!
欧米の文化を伝え、国内の産業を広める博覧会。殖産興業という明治新政府のかけ声で、全国各地から産物や名品が集合。数百万の規模で人が集まるようになりました。

ポスターという
新たなメディアが登場!
明治時代の後半、欧米の石版技術により大判の印刷が徐々に普及。森永製菓はいち早くオリジナルで「西洋菓子」の言葉を入れたポスターをつくりました。
明治期広告界の立役者

西洋文明を積極的に取り入れた
明治のキーパーソン
福澤 諭吉
ふくざわ ゆきち (1835–1901)西洋文化を紹介し、日本の近代化を推し進めた人物。諭吉らが発刊した日刊紙『時事新報』は当初から広告を重視し、商人には新聞広告のすすめを説くなど、近代広告論を指南しました。

マルチな才能で活躍をみせた
薬業界の立役者
岸田 吟香
きしだ ぎんこう (1833–1905)東京日日新聞で記者として活躍したのち、実業家へ転身し目薬「精錡水[せいきすい]」(楽善堂[らくぜんどう])を販売、新聞で商品記事を書くなど巧みな宣伝活動を展開。ほかにも錦絵の中に宣伝文を盛り込むなど、凝った広告表現で注目を集めました。