ニッポン広告史
ニッポン広告史
昭和篇
昭和篇 初期から戦中・終戦まで1926〜1945初期から戦中・終戦まで
大正時代の流れを受け、「昭和モダン」とも呼ばれた昭和初期。広告表現は、より国際的で洗練されたものになっていきます。しかし、戦争が近づくと一変。戦意高揚を目的とした宣伝色が強まり、広告は「冬の時代」へと突入しました。
大正モダンから
昭和モダンへ
欧米の文化が一気に広がりをみせ、日本の広告デザインも国際性とモダニズムの色彩を鮮明にし、洗練されていきました。
華やかな
都市文化が広がる
都市部では、次第に西洋文化を取り入れた新しい風俗や生活を楽しむように。広告でもそんな都市文化の楽しみを伝えています。
昭和初期の
観光ニッポン
昭和に入って国際化が進み、船の海外航路や鉄道網も整備された日本。外国人向けの観光PRに里見宗次らデザイナーが一役買いました。
戦争により広告は
「冬の時代」へ
戦争の足音が近づき、広告の役割は大きく変化。商品広告は減少し、戦争を推進するための国威発揚の広告が増えていきました。
昭和期の広告関連年表
1926(昭和元)年
濱田増治らが「商業美術協会」設立/円本ブーム
1927(昭和2)年
杉浦非水らがポスター研究雑誌『アフィッシュ』創刊
1933(昭和8)年
岸本水府、グリコの豆文広告シリーズを開始
1934(昭和9)年
名取洋之助らが雑誌『NIPPON』創刊
1937(昭和12)年
資生堂PR誌『花椿』創刊
1939(昭和14)年
百貨店の季節大売出し中止/アドバルーンの禁止
1940(昭和15)年
「ぜいたくは敵だ」の献納広告/「報道技術研究会」結成
1943(昭和18)年
「撃ちてし止まむ」などの標語広告