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〇〇の本棚

広告界のレジェンドによるおススメ本シリーズ第5弾!

麻生哲朗 (TETSURO ASO)
CMプランナー・クリエーティブディレクター
1972年4月8日福岡生まれ
神奈川県立横浜翠嵐高校卒。
早稲田大学理工学部建築学科卒
96年電通入社クリエーティブ局配属
1999年TUGBOAT設立に参画
TCC,ADC会員

過去には
カロリーメイト がんばれワカゾー
ライフカード カードの切り方が人生だ
競輪 企業広告
ラ王 食べられない男シリーズ など

最近は
住友生命 企業広告・ワンアップ・バイタリティ
三井住友カード 企業広告・商品広告
ドコモ style’20 オリンピックキャンペーン
大塚製薬 イオンウォーター
JRA 企業広告・プロモーション
ダイハツ キャンバス
サンサン 企業広告
さとふる 企業広告 など

ストーリーと言葉を基軸としてCMを主戦場としながら
映画「THE HOTEL VENUS」脚本
ドラマ「X’smap~虎とライオンと五人の男~」企画・脚本
CHEMISTRY「PIECES OF A DREAM」「アシタヘカエル」
SMAP「Dear Woman」etc. 作詞。
小説「ビーナスブレンド」「坂の記憶(岡康道との共著)」
Web コンテンツ「コムニバス 銀座ぐらん堂、午後3時。(全8話)」企画・脚本なども

やさしい言葉の向こう側

「さようなら、ギャングたち」

高橋源一郎 著 | 講談社 | 1982年

「昔々、人々はみんな名前を持っていた」「古い名前は役人たちが、役所の裏の川にどんどん放り込んだ」
大学生のはじめ、すでに建築学科の落ちこぼれだった時に出会った本。おそらく僕は今もこの小説の真髄を感じ取れていないのだがそれはどうでもよい。言葉は解体できる、そこからかけ算が始まると自覚するきっかけになった一冊。その快楽を教えてもらっただけで十分。今も時々、冒頭の名前のくだりだけ読み返して気分転換したりする。破綻と矛盾に怯えていた元受験生の頭を、割ってもらった感じがする。

「山田太一セレクション早春スケッチブック」

山田太一 著 | 里山社 | 2016年(初版1988)

「みんな明るかった。無理にでも明るくしていようという風だった。そう。みんな無理をしていた。それが、とても、よかった」
平凡な家族が、1人の異端者の登場で綻び、でもそこから登場人物それぞれが自分を再発見していくドラマの最終回、登場人物が集まるその異端者の死の直前、最後の晩餐での長男和彦のこのモノローグが大好きだ。このモノローグに行き着くまでの、登場人物たちの生々しいセリフがあって、それを積み上げてきたからこそここに収束する。外の言葉と、内の言葉、言葉の関係の奥行きを感じた一冊。

「死んでしまう系のぼくらに」

最果タヒ 著 | リトルモア | 2014年

「私の言葉なんて、知らなくていいから、あなたの言葉があなたの中にあることを、知ってほしかった」
かつて「さようなら、ギャングたち」で受けた快感を、「いま」のボキャブラリーで「いま」僕たちがいる場所で、再び味わえた気がした最果タヒの詩3部作。「さようなら、ギャングたち」がただひたすら自分の中の言葉を解体してくれたとしたら、この3部作は自分と誰かと街を、言葉がダイナミックに行き来して言葉のかけ算を立体的に見せてもらった感じ。冒頭に引用したのは、実は詩ではなく作者のあとがきです。あとがきすら、詩です。

「ぼくのニセモノをつくるには」

ヨシタケシンスケ 著 | ブロンズ新社 | 2014年

「いろんなぼくになるけれどやっぱりぜんぶぼくはぼく」
作者を一躍有名にした「りんごかもしれない」の次作。もちろんひらがなばかり。己を知るというともすると説教がましいテーマが、自分そっくりのニセモノを作るためには自分のことを知らなくちゃならないという設定と展開に昇華されていることにはひたすら脱帽した。子どもからオトナまで、誰もが触れられる哲学。ただ言葉をかんたんにするのではなく、言葉が生まれる舞台そのものをかんたんにできるのか、そんな気づきをもらった感じ。

「イッセー尾形の都市生活カタログ」

イッセー尾形・森田雄三 著 | 早川書房 | 1991年

「おいしいよ。だってカニだもん」
叔父は舞台役者だった。学生時代の僕を応援してくれた恩人だ。その叔父に教えてもらったのがイッセー尾形のひとり芝居。都市生活カタログはその舞台の総称。まだ小学生の頃だ。高校生の頃はレンタルビデオで何度も借り、好きな題目は覚えてしまった。こういうものはどうやってできあがるんだろうと思って、一度「新宿のオカマ」になったつもりで親と喋ってみたら、彼女?のセリフが勝手にどんどん出てきた。言葉は人が生む。そのことを感じ取っていた一冊。

もっと向こう側

「競馬場で逢おう」

寺山修司 著 | JICC出版局 | 1988年

競馬の予想は未来の妄想である。つまり予想段階では、何もかもがフィクションとも言える。独断と偏愛に満ちたただの競馬予想が、寿司屋の政、トルコ嬢の桃ちゃんたちが登場する物語になることで、説得力とも違う愛着をその予想にもたらす。なんとも不思議なコラム。コラムなのにフィクション。ギャンブルという閉鎖的な世界を、物語(フィクション)にすることで普遍化する。見習いたい。

「誰も知らない名言集」

リリー・フランキー 著 | 情報センター出版局 | 1998年

ほとんどのネタがエログロではあるのだが、「台詞の意味は前後関係で作られる」という基本をこれほど痛快に教えてくれた本はない。「バカ」という一言が、愛情表現か罵倒か自嘲かetc.はその「バカ」がどこでどう発せられたかで千変万化である。それのもっと極端な事例が目白押し。でもその極端さで、話し言葉、ストーリーテリングの武器の使い方を再確認した感じ。

「小耳にはさもう」

ナンシー関 著 | 朝日新聞社 | 1994年

以前福里さんも推薦していたと記憶しているが、重ねて僕も。テレビの前、茶の間に漂うまだ言語化されていない感情を、こうも見事に端的に言葉にしてくれた人はいない。批評家ではなく代弁者。それまで誰もそうは言っていなかったのに「自分もそう思っていた」とみんなに言わせる。広告を作るときに僕はしばしば「新しいこと」を「忘れていたこと」「見過ごしていたこと」に置き換えて考える。それを見つけることができれば、たくさんのひとが「わかる」「新鮮さ」を獲得できるからだ。それをものすごいスピードと量で圧倒的に示してくれた一冊。

「バカの壁」

養老孟司 著 | 新潮社 | 2003年

日頃思っていたことを言語化してもらったもう一冊。広告の世界で、「個性的」であることに固執して自滅していく制作者を何人も見てきた。僕には個性と好みを混同しているように思えてならなかった。個性を否定しているのではない。むしろ個性は好みで揺らぐようなやわなものではないはずだと思う。そんなことが書いてあった、ように僕には読めた。自分の中に常にあった言葉を、改めて違う言葉で、しかも高精細で語りなおしてもらったカタルシスを感じた一冊。

「定本 北の国から」

倉本聰 著 | 理論社 | 2002年

僕が社会人なりたての頃、北の国からのスペシャル放送の日は、あらゆるスタジオの仕事が一時止まった。みんなが五郎と純と蛍の行く末を気にしていた。学んだことはたくさんあるが、印象的なのは純のモノローグだ。「~なわけで...」という長男純の独特の語りがこのドラマの柱の一つになっている。その人はそれをどんな風合いで語るのか。倉本さんが脚本の「てにをは」一つも直させなかったのは単なるわがままではなく「この人は、そうは語らない」という思いからだろう。人による語り口、話法というテーマを与えてくれた一冊。

「Sunny(全6巻)」

松本大洋 著 | 小学館 | 2011,2012,2013,2013,2014,2015年

今回ここに出すか迷ったシリーズ。できれば自分の胸の中にずっと閉じ込めていたいと思っている作品だから。終わりのない留守番をさせられているような、施設の子供たちの群像。作者の実体験による。あくまでも子供の、他愛ないセリフが散らばっている。方言で、ひらがなで、片言で。散らばることで揺れてうごめいている。できればゆっくり、そのセリフの数々がこの舞台のどこにあるのか、そこに生きる子供たちと時間を合わせながら、確かめながら読みたい。

尾崎放哉と種田山頭火

「尾崎放哉句集」 尾崎放哉 著 | 池内紀 編 | 岩波書店 | 2007年
「山頭火俳句集」 種田山頭火 著 | 夏石番矢 編 | 岩波書店 | 2018年

両名の全集をKindleに取り込んでいる。移動の時などに読める分だけ読む。眺めるという方が正しいかもしれない。どれがどっちの作品とかももはやあまり気にしていない。広告でも「スライスオブライフ」というのが手法の1つとして語られたりするが、これはそもそも手法論に収まる小さな考え方ではない。この二人の、誰かを(恐らくは自分自身を)傷つけんばかりの日常に対する切れ味は、怖くて美しい。自分はこれだけ日常を研いでいるだろうかと思い返すための言葉の数々。

「中原中也詩集」

中原中也 著 | 大岡昇平 編 | 岩波書店 | 2007年

父が学生時代に、母に初めて贈ったのが中原中也の詩集らしい。その話を中学生の時に夕刊に載っていた「冬の長門峡」を見つけた時に聞かされた。汚れっちまったも、ゆやーんもいいのだが、僕は「寒い寒い日なりき」の「なりき」という響きがなんともいえずかっこいいと今でも思う。詩は音。口にした時の気持ちよさを知った感じ。

「アライバル」

ショーン・タン 著 | 小林美幸 訳 | 河出書房新社 | 2011年

言葉のない絵本である。でも伝わる。雰囲気ではなく物語と感情が。自分は言葉なしでは勝負できない場所にいるから、せめてこのショーンタンの描く世界の中に漂う気配を言葉として抽出できるようになりたい、そんなことを思わせてくれた一冊。

「新明解国語辞典(第七版)」

三省堂 | 2017年

自分で所有しているのは第四版だが、既に第七版まで出ている模様。思えば辞書こそ、やさしい言葉で他人に説明することを宿命とする一冊な訳で、その中でもやはりこの一冊は意外なかけ算、自由なかけ算を随所で繰り広げていて楽しい。語訳もいいのだが、用例の作り方に人柄というか本柄が出ている。

「強く生きるために読む古典」

岡敦 著 | 集英社 | 2011年

目から鱗の読書術の本。筆者のスピード感についていかなくてはいけないので、読みやさしい本ではない。ただこの本を経て、その後の本との関わり方、読み方は劇的に変わる。ここまで自由でいいのかと。本を理解しようとするのではなく、本を自分に引きつけて読む。誤解でも曲解でも構わない、何が書いてあろうが何を感じ取るかは読み手の自由なのだ、自分がその本を読むとはそういうことだと、教えてくれる。新しい言葉を増やすというより、自分が使いこなせるボキャブラリーそのものを育て鍛えていく大切さを感じた一冊。

スピッツのライナーノーツ

「CYCLE HIT 1991-2017 Spitz Complete Single Collection」
草野正宗 作詞 | Universal Music | 2017年

草野マサムネは、大正ダダイズムの影響を色濃く受けているとどこかで読んだ。そういう意味では中原中也からの流れがあるのか。言葉のやさしさは音数にも依る。邦楽は日本語で書き切ろうとすると使える音数は英語曲と比べて極端に減る。その限られた中で、これだけの世界を作りきる詞。好きなフレーズを挙げるとキリがない。聞ける詞でもあり、読める詩でもある。

「中島みゆき全歌集」

中島みゆき 著 | 朝日新聞出版 | 2015,2015,2018年

冒頭で紹介した「さようなら、ギャングたち」の主人公の恋人の名前は「中島みゆきソングブック」という。これのことだ。