コラム

2018.09.04

<連載>粋と洒落!江戸の広告作法「えどばたいじんぐ」①

江戸の町人文化に華開いた、あの手この手の宣伝広告。
そこには「粋・洒落」などの美意識の中で洗練された広告の作法がありました。世界に類を見ない独創的なアイデアや表現を当館のコレクションの中からシリーズでご覧いただきましょう。
*「広告」という言葉は明治5年に登場。江戸時代は引札、報條、告、報せ、口上などと呼ばれていた。




チラシの元祖、ここに!
「現金掛け値なし」の新商法を伝えた引札(ひきふだ)


1683(天和3)年4月、一枚の刷物(すりもの)が江戸全市中の家々に配られました。その内容は三井越後屋(三越の前身)が店舗を駿河町に移転した際に、革新的な販売方法を、改めて多くの人に知らせるものでした。これが引札と呼ばれ、今日のチラシ広告の始まりです。のれんや看板とちがい、向こうから飛び込んでくる宣伝物に、世間はびっくりしたことでしょう。
「江戸中の家数を知る呉服店」と川柳に詠まれるほどでした。
引札には「今度、私工夫をもって、呉服物何によらず、格別下値に売出申し候間(中略)一銭にても、空値申し上候間、お値切り遊ばされても負けは御座無候 呉服物現金安売り掛値なし」と記されています。高橋潤二郎著『三越三百年の経営戦略』によると、世界に先駆けた「定価販売」です。店頭で呉服を安く現金で買えるという、一般庶民にとって嬉しいニュースだったのです。


駿河町・三井越後の引札(江戸・享保年間) 
三井文庫所蔵(資料番号本2168-11)


始祖・三井高利(たかとし)には「江戸店持ち京商人」を理想とする志がありました。郷里の伊勢松坂では105女に恵まれ、質店や金融業を営み、将来に備えて着々と資金を蓄えていたのです。高利52歳の時、奉公して修業を積んだ息子たちと共に、江戸本町に小さな呉服店を開きます。1673(延宝元)年のことです。当時の本町には多くの呉服店が軒を連ねていました。開店当初は苦戦をしますが、高利らは時代の流れを読み、新たな顧客の開拓を考えました。訪問掛け売りではなく、店頭において安く現金で切り売りする、薄利多売の商売を始めたのです。これは多くの顧客から支持を得て、またたく間に売り上げを伸ばしていきました。しかし、これは同業者の反感を買い、数々の激しい妨害や、あくどい嫌がらせを受けます。駿河町に移転したのは、そういう事情もあったのです。

移転を契機に大量に配布した引札は、世間に向けた越後屋の“新商法宣言”であり、多くの庶民に情報を伝えるアイデアでした。これは自ら作った“マスメディア”といえるでしょう。引札の効果も大きく、越後屋は日増しに繁盛していきます。この流れと勢いに、反目していた同業者たちは、経営方針を改めざるを得ず、やがて「現金掛け値無し」の看板を掲げていくようになりました。
三井越後屋は新しい消費の形を作った革命的商家だったのです。



三井越後屋の創業者 三井高利(1622~1694)

(三井文庫所蔵 史料番号新936


※本記記事内の画像の無断転用を禁じます


執筆者プロフィール
アドミュージアム東京学芸員 坂口由之(さかぐち よしゆき)
1947年生。多摩美術大学卒業後、1970年㈱電通入社、クリエーティブディレクターの後、1997年広告美術館設立のため学芸員として参画。2002年「アドミュージアム東京」の開設時に企画学芸室長として運営に携わる。2007年(公財)吉田秀雄記念事業財団に勤務。現在はアドミュージアム東京解説員として勤務。日本広告学会会員

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