アド・ミュージアム東京

ENGLISH

HOME > 展示案内 > 企画展示> 過去の企画展示 2007 > 昭和の広告展[T] モダンと激動の四半世紀

Temporary Exhibitions・企画展示 昭和の広告展[T] モダンと激動の四半世紀

昭和の広告展[T] モダンと激動の四半世紀
2007年8月1日(水)〜9月24日(月)
アド・ミュージアム東京(入場無料)

主催: 財団法人 吉田秀雄記念事業財団

昭和の広告展[T]ポスターデータはこちら

開催にあたって   本展示のねらい   第一部第二部第三部   関連年表

開催にあたって

この「昭和の広告展−T〜モダンと激動の四半世紀〜」は、
江戸、明治、大正と3回にわたって開催してきた、
特別企画展・歴史シリーズの第4弾です。
今回取り上げた、昭和初期から終戦にいたる四半世紀は、
政治・経済・社会・文化のいずれをとっても、光と影の混在する
極めて振幅の大きい時代でした。本展では、戦前という特異な
世相下における広告の姿を、主に大衆消費という視点から
捉えるとともに、商業美術の興隆と広告表現の変化、
さらには広告メディアの変遷をご紹介しています。
いつの時代も、広告は常に時代に呼応し、時代と共鳴してきました。
それ故に、私たちは平和で豊かな大衆社会においてこそ、
広告はその真価を発揮できると確信しています。
本展を通じて、時代と共に生きる広告の意義と役割を
感じ取っていただければ幸いです。

                  財団法人 吉田秀雄記念事業財団
                            理事長 松 本 宏

 
本展示のねらい

60年余にわたる昭和は、広告界にとっても異質な要素が交錯する激動の時代です。そこで限られた展示スペースの中で一度にご紹介することは困難と考え、本展では、昭和を戦前・戦後の2期に分け、今回はそのパートTとして主に戦前を中心に取り上げます。

産業経済の飛躍的発展を背景に都市型大衆消費社会が出現した昭和初期、広告はモダンで華やかな表現を駆使して新しい暮らしを提案しました。しかし、昭和6(1931)年の満州事変を境に時局は次第に厳しさを増し、市場経済の疲弊とともに広告は冬の時代を迎えます。

本展では、このような激動の時代にあって、広告は大衆に何を伝えてきたのかを主に所蔵広告作品によってご紹介します。併せて広告表現の変化や商業美術運動の高まり、広告メディアとしての新聞・雑誌メディアの変化を取り上げ、戦後の商業放送の開始にパートUへの架け橋の意味を込めました。
 
<第一部> モダニズムと激動の時代を生きた広告
 
 
昭和初期には、地下鉄など交通機関の整備や建設・電気などの技術革新が進み、本格的な都市型の生活者が誕生します。カフェ、ダンスホールなどの華やかな社交場や、映画館や劇場などの娯楽施設の充実、レジャーや観光旅行の一般化など、暮らしを楽しむ環境は地方都市にも広がりつつありました。そして当時の広告は、人々に都市文化の楽しみを伝えていたのです。
 
展示風景
展示風景
展示風景
 
 
耐久消費財の大規模生産や優秀な国産品の増加によって、より多くの人々が豊かな消費生活を謳歌できるようになりました。便利さを伝える商品広告や、豊かな日常生活を謳った嗜好品の広告は、魅力的でモダンな暮らしを提案しています。さらに企業はPR誌やプレミアムなどを活用して、消費者との新しいコミュニケーション活動を展開しました。
 
展示風景
展示風景
展示風景
 
 
昭和12(1937)年の日中戦争を契機に日本国内では次第に戦時色が強まり、わが国は国民総動員体制へと突入しました。その後、統制経済が進み自由な商業活動は抑制されると、広告は冬の時代を迎えます。かつての華やかな嗜好品・贅沢品などの広告が姿を消し、広告の大半を日用品などが占めるようになりました。このような環境の下では、広告メッセージもまた、時局を反映した内容へと変わらざるを得ませんでした。
 
展示風景
展示風景
展示風景
 
 
昭和20(1945)年8月、終戦を迎えたわが国は、都市を中心に多くの人々が飢えや貧困などに苦しんでいました。しかし、いちはやく復興への取り組みが始まり、新しい国づくりの槌音が全国に響きわたります。一方、急速に流入したアメリカ文化が人々の豊かな暮らしへの期待を膨らませ、流行歌や様々な娯楽が人々を元気付けました。そして広告は、そのような夢や希望を呼び覚ますメッセージを人々に送り続けたのです。
 
展示風景
展示風景
展示風景
 
<第二部> 時代と共鳴した広告表現

 
昭和に入ると、商業美術家が専門の職業として認められ始めました。新しい商業美術運動が全国に広がり、懸賞広告募集やポスター展覧会が相次いで開催されます。それらは、とりわけ若い商業美術家達の制作意欲を大きく高めました。また、広告専門雑誌『広告界』には、あらゆる立場の広告に携わる著名人が数多く執筆し、商業美術の教育・啓蒙活動の拠り所となっていました。
 
展示風景
展示風景
展示風景
 
 
海外で起こった新興デザイン運動の影響を受けて、昭和初期の広告には合理的でデザイン性の高い表現が次第に取り入れられるようになりました。これらのポスターには、大衆に訴えかける強いインパクトや、テンポの速い時代が求めるシンプルなデザインが盛り込まれています。このような環境の下で、商業美術家たちは互いに切磋琢磨しながら制作技術を高めてゆきました。
 
展示風景
展示風景
展示風景
 
 
新しい時代の洗礼を受けて、日本の広告表現にも変化の潮流が生まれます。特に新時代の魅力に溢れる映画・演劇のポスターには、タイポグラフィや構図に先鋭的な趣向が凝らされ人目を引きました。欧米文化や前衛的な思想を、身近な形で大衆に伝えようとしたこれらの表現は、商品広告にはほとんど用いられなかったものの、広告表現の世界において先駆的な役割を果たしたといえるでしょう。
 
展示風景
展示風景
展示風景
 
 
かつて、写真は伝統芸術に近づくことを目標としていました。しかし、昭和に入ると、欧米で写真関連技術の進歩とともにモンタージュ手法などを取り入れた新しい表現が台頭しました。さらに、ドイツに留学していた名取洋之助が、リアリズムや合理性を追求する報道写真技術を紹介。これらの影響を受けて広告写真にも新しい潮流が生まれ、斬新なレイアウトが力強いインパクトを発揮する、モダニズム溢れる表現へと発展しました。
展示風景
展示風景
展示風景
 
 
大正時代から、大企業の宣伝部を中心に広告の文案(コピー)を専門に手がける職業が活躍を始めます。昭和初期には、新聞・雑誌の広告掲載量が著しく増加し、それに伴って、楽しく分かりやすく、印象に残る広告メッセージが求められるようになりました。片岡敏郎と岸本水府は、大衆に好まれる広告文案を手がけた、いわば今日の名コピーライターといえるでしょう。
 
展示風景
展示風景
展示風景
 
<第三部> 変貌する広告メディアと商業放送の誕生
 

「雑誌メディア」
昭和初期には、激しい販売競争と広告量の増加によって婦人雑誌を中心に雑誌の売り上げが急増します。しかし、時局の悪化につれて誌面の減頁が進み、雑誌広告も輝きを失いました。終戦後、雑誌がかつての華やかさを取り戻すには、約5年の歳月を要しました。

 
「新聞メディア」
昭和初期には、新聞発行部数が劇的に上昇し、新聞の商業化・大型化が進みました。しかし戦時体制に入ると、ページ数の減少とともに広告スペースも減少し、終戦間際には時局の求めるメッセージを伝える企業の「献納広告」が並びました。
そして終戦、新聞広告にも再び復興の兆しが見え始めます。
 
展示風景
展示風景
展示風景
 

西暦
元号
広告・メディア関連事項 政治・経済・社会一般
1926 昭和元年
(大正15)
円本ブーム。出版広告が活況/濱田増治が「商業美術家協会」を設立 / 日本放送協会が発足 大正天皇崩御、昭和に改元
1927 昭和2 杉浦非水らがポスター研究雑誌『アフィッシュ』を創刊 金融恐慌起こる/ 浅草〜上野間で、
日本初の地下鉄開業
1928 昭和3 日本初のブラウン管によるテレビの公開実験に成功/『現代商業美術全集』(全24巻)の刊行始まる 第1回普通選挙実施
1929 昭和4 三越が西館塔上にネオン設置。この後、都会にネオン看板が増える。 世界恐慌の始まり/ドイツの飛行船「ツェッペリン号」来日
1930 昭和5 帝都復興祭りの一環として「正路喜社」が広告祭を主催。 金解禁実施/この頃エロ・グロ・ナンセンスが流行
1931 昭和6 森永が本土縦断の飛行機による販売促進キャンペーンを行う/読売新聞が夕刊発行 満州事変起こる/流行歌 「丘を越えて」がヒット
1932 昭和7 台湾放送協会が広告放送を実施 上海事変起こる/5.15事件/チャップリン来日
1933 昭和8 岸本水府がグリコの豆新聞広告シリーズを開始 日本・ドイツが国際連盟を脱退
1934 昭和9 名取洋之助が雑誌『NIPPON』を創刊 丹那トンネル開通
1935 昭和10 パリで2週間「日本商業美術展」が開かれる 一般女性にもパーマが普及
1936 昭和11 ベルリンオリンピックのラジオ放送で“前畑がんばれ”の名中継(NHK) 2.26事件
1937 昭和12 戦前の広告最盛期。全新聞広告数量は2億5766万行/資生堂PR誌『花椿』創刊 盧溝橋事件。日中戦争始まる/浪花節がブームに
1938 昭和13 用紙制限の為、朝日、毎日両紙が全頁広告を中止 国家総動員法施行/1940年東京オリンピックの中止が決定
1939 昭和14 日本広告主協会が発足 第2次世界大戦始まる/国民徴用令・物価統制令施行
1940 昭和15 「贅沢は敵だ!」の献納広告/広告塔の点灯が一斉禁止/「報道技術研究会」結成 日独伊三国同盟締結。大政翼賛会発足
1941 昭和16 新聞用紙2割節減/大政翼賛会内に「日本宣伝文化協会」設立 太平洋戦争始まる/アメリカ映画の上映禁止
1942 昭和17 広告税が新設/新聞統合の結果、一般日刊紙が55紙に制定される ミッドウエー海戦/衣料切符制実施
1943 昭和18 広告代理業が12社に統合される/「撃ちてし止まむ」の決戦標語 第1回学徒出陣
1944 昭和19 新聞が1日2頁に縮小/広告代理店の取次手数料制定 国民総武装決定/米軍機B29が本土初空襲
1945 昭和20 広告代理業12社が日本新聞広告同業組合を結成/初の民間ラジオ局の申請が却下される 第二次世界大戦終結。GHQ設置/ 婦人参政権制定/「リンゴの唄」大ヒット
1946 昭和21 広告税法廃止/「日本新聞協会」「日本雑誌広告協会」設立 日本国憲法公布/公職追放令施行
1947 昭和22 「日本広告会」設立 / 広告料金の統制撤廃/ネオン広告が復活 改正民法公布/民間貿易が再開/水泳400m自由形で古橋広之進が世界新
1948 昭和23 新聞が1週1回4頁になる/第一回「広告電通賞」開催 サマータイム実施/国民の祝日制定
1949 昭和24 新聞の夕刊復活/アドバルーンが復活 単一為替レート決定(1ドル360円)/ 湯川秀樹にノーベル物理学賞
1950 昭和25 日本新聞広告業者協会(現・日本広告業協会)発足/放送法が制定。民間放送実現 朝鮮戦争始まる/神戸で「アメリカ博」開催
1951 昭和26 中部日本放送が日本初の商業ラジオ放送を開始/新聞用紙統制の撤廃/日本宣伝美術会が設立 対日講和条約、日米安全保障条約調印/第一回紅白歌合戦(NHK)
1952 昭和27 新聞発行部数公差機関「ABC懇談会」発足/吉田秀雄が広告料金の逓減料率制を提唱/民放ラジオ局の開局ラッシュ 東京国際空港開港/ラジオドラマ「君の名は」放送開始
1953 昭和28 NHKテレビ放送開始(2月)/ 日本テレビ放送網が日本初の商業テレビ放送開始(8月)。街頭テレビを設置/銀座に世界最大のネオン塔(森永製菓) 朝鮮戦争終結
Page Top
吉田秀雄記念事業財団オフィシャルページリンク
Access Map アクセスマップ
広告図書館