吉田秀雄の歩み
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1903[明治36]〜1927[昭和2]
福岡県小倉で誕生
幼少期は家庭の事情から2度の養子縁組に出されるなど苦難の生活を送る -
1928[昭和3]
東京帝国大学卒業後、日本電報通信社(現・電通)に入社英米の広告文献から「広告とは何か」を勉強する
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1936[昭和11]
電通が通信部門と分かれ広告専門会社として改組される
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1945[昭和20]
電通などを中心に民衆放送(現・東京放送)の開設を申請、吉田がまとめ役となる
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1947[昭和22]
電通第4代社長に就任
広告電通賞を制定 -
1955[昭和30]
社名を日本電報通信社から株式会社電通に改める
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1956[昭和31]
諸外国の広告業界を視察、マーケティングを導入した米国の広告代理業の在り方に強い影響を受ける
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1958[昭和33]
米国フォーチュン誌が吉田の業績を紹介
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1962[昭和37]
官邸で池田勇人首相と広告問題で懇談
全日本広告協議会が発足。理事に就任 -
1963[昭和38]
1月27日逝去、
29日に従四位勲二等瑞宝章を贈られる -
1965[昭和40]
吉田秀雄記念事業財団が発足
社会と広告界の動き
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1906[明治39]
株式会社日本電報通信社設立
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1923[大正12]
関東大震災
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1925[大正14]
ラジオ試験放送開始
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1927[昭和2]
浅草〜上野間で日本初の地下鉄開業
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1937[昭和12]
戦前の広告最盛期。日中戦争始まる
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1940[昭和15]
戦局が悪化、公共標識以外のネオンサインの点灯は一切禁止になる
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1945[昭和20]
第2次世界大戦終結
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1947[昭和22]
GHQが民間放送の開設等を指示
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1951[昭和26]
9月1日、民間ラジオ放送開始
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1953[昭和28]
2月、NHKテレビ放送開始
8月、民間テレビ放送開始 -
1954[昭和29]
電気冷蔵庫、洗濯機、テレビが「三種の神器」と呼ばれる
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1958[昭和33]
東京タワー完成
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1959[昭和34]
皇太子さまご成婚
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1964[昭和39]
東京オリンピック開催
東海道新幹線開業 -
1966[昭和41]
カラーテレビ、自家用車、クーラーが「新三種の神器」となる
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1970[昭和45]
大阪で日本万国博覧会開催