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コラム

2018.11.16

<連載>粋と洒落!江戸の広告作法「えどばたいじんぐ」 ④



江戸の町人文化に華開いた、あの手この手の宣伝広告。そこには「粋・洒落」などの美意識の中で洗練された広告の作法がありました。世界に類を見ない独創的なアイデアや表現を当館のコレクションの中からシリーズでご覧いただきましょう。
*「広告」という言葉は明治5年に登場。江戸時代は引札、報條、告、報せ、口上などと呼ばれていた。


NO.4 コピーライターの元祖!平賀源内


平賀源内全集上巻/平賀源内先生顕彰会刊より


源内先生、歯磨き粉の広告コピーを書く!

それは「嗽石香(そうせきこう)」という歯磨き粉発売の宣伝文です。
1769(明和6)年、平賀源内が恵比寿屋兵助の依頼によって書いた引札(ひきふだ:チラシのこと)でした。
この時代の先端を行く著名な文化人といえども、浪人の身分でした。何がしかの収入を得るために、気軽に町人たちの求めに応じて、筆を執ったのだろうと思われます。

平賀源内(1728-79)は元高松藩の武士でした。本草学はもとより、蘭学者で蘭医、エレキテル(静電気発生装置)や火浣布(かかんふ:燃えない布)の発明、また、鉱山開発や物産会(ぶっさんえ:薬草や物産を集めた博覧会)開催、西洋絵画を学び創作、浄瑠璃の戯作者(げさくしゃ)としても活躍します。江戸の封建社会の枠に収まりきらない才気溢れる多能な人物でした。谷峯藏氏の著書『江戸のコピーライター』では、引札文案作者つまり、今でいうコピーライターの第1号は平賀源内であるとしています。
『飛花落葉(ひからくよう)』という広告コピー集があります。これは1783(天明3)年、源内の死後、引札文だけを集めて編纂されたもの。「嗽石香」はこの中に掲載されています。



 『飛花落葉』より

その内容を要約して紹介しましょう。

「はこいり はみがき 漱石香  はをしろくし口中あしき匂ひをさる」

役者の芝居口上の仕立てになっています。
「トウザイ、トウザイ・・・私、兵助は商いの損相つづき、困っているところに、さる御方が元手のいらぬ歯磨き粉の販売を教えてくれました」

と、まず発売の経緯を述べ、

「実は隠すのは野暮なので、ぶっちゃけバラしますが、防州の砂に匂いを付けたもの、教え通りに薬種を選び念入りに調合しました。歯を白くするだけでなく富士の山ほどの効能があると聞きました。しかし、効くのか効かぬか、私にはわかりません。でも、たかが歯磨き、ほかの効能なくても害も無いでしょう。正直言うとお金が欲しさに早々に売り出すことにしました。お使いになって万一良くなく、捨ててしまっても、たかが知れた損でしょう。私の方はちりも積もって山となります。もし良い品とご評判いただけば表通りに店を出し、金看板を輝かせて今の難儀を昔話としましょう。(略)てっぽう町裏店の住人 川合惣助元無(源内の匿名)売弘所 恵比寿屋兵助」

このように、本音をさらけ出し、手の内を明かした源内の口上文は、読む者の微苦笑を誘い、しょうがない奴だが、一度は買ってやろうか。と、江戸っ子たちの洒落心をくすぐる広告コピーでした。

このほか掛け言葉巧みで、テンポの良い「清水餅」の引札など、いくつかを書いています。戯作者は大衆の喜ばせどころや、泣きどころをつかむのが巧みだったのです。面白いことは流行るものです。これ以来、商人は戯作者に引札文を依頼する風潮がうまれました。平賀源内の洒落や機知にとんだ引札は後に続く戯作者たちのお手本となって、山東京伝、式亭三馬、柳亭種彦らへと引き継がれていき、多芸多才な源内は江戸の広告発展にも大きく寄与したのです。たとえば、世によく知られた「土用丑の日はウナギの日」のキャッチコピーは、源内のアイデアというのが通説ですが(他にも諸説あり)、残念ながら、それを実証する史料が見つかっていません。もしその史料が見つかったなら、“日本広告遺産”(もしそのようなモノがあれば!)第1号に登録したいものです。

また、1765(明和2)年、絵師・鈴木春信が錦絵(にしきえ:多色摺りの浮世絵)を創始した裏には、源内がアイデアを貸したという説があります。同じ頃、神田白壁町に住んで親交のあった二人が、木版技術に新工夫をこらし、墨や紅摺りから一挙に美麗な多色摺りの「錦絵」を誕生させた。科学者の顔を持ち、絵画にも通じた源内の発想であろうというのは大いに頷けることです。
今日、インターネットの時代に、源内先生がもし生きていたら、どんなにクリエーティブな活動をしたでしょうか、想像するだけで楽しくなってきますね。 


執筆者プロフィール
アドミュージアム東京学芸員 坂口由之(さかぐち よしゆき)
1947年生。多摩美術大学卒業後、1970年㈱電通入社、クリエーティブディレクターの後、1997年広告美術館設立のため学芸員として参画。2002年「アドミュージアム東京」の開設時に企画学芸室長として運営に携わる。2007年(公財)吉田秀雄記念事業財団に勤務。現在はアドミュージアム東京解説員として勤務。日本広告学会会員

◆参考文献:
・飛花落葉(戯文集)  1783(天明3)年刊
・平賀源内全集 上下巻 平賀源内先生顕彰会  1932年刊
・江戸のコピーライター 谷峯藏著 岩崎美術社 1986年刊
・平賀源内 芳賀徹著 朝日新聞社       1989年刊
・月刊アドバタイジング (株)電通      1989年5月号 
《特集》江戸・明治の広告仕掛人たち 林美一著
・人物叢書 平賀源内 城福勇著 吉川弘文館  1990年刊
 
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