ニッポン広告史
大正篇1912〜1926
経済発展とともに都市化が進み、大衆消費社会へ。大正モダニズムが開花し、いまも色あせない広告がいくつも誕生しています。新たな技術を駆使した表現やスタークリエイターが台頭。短い間ながらも、広告が着実な歩みを進めた時代となりました。
大正モダニズムが生んだ
広告表現のパイオニア
西洋から写真・印刷技術が導入され、広告はより技巧的に。企業の中にも宣伝部などの専門組織が置かれ、アイデアが競われるようになり、スタークリエイターも誕生しました。

杉浦非水によるアールヌーボーの潮流を取り入れた、モダンなデザインポスター。女性が手にしているのはPR誌『みつこしタイムス』。

片岡敏郎による日本初の写真ヌードポスター!こだわり抜かれた、浮き上がって見えるようなワインの「赤」に注目。
この頃からあった、
あの商品[ブランド]
明治末期から大正時代にかけての好景気の中で、都市化が進み、大衆消費社会が生まれました。新しいライフスタイルが広まり、大正モダニズムが開花しました。

大正期 広告界の立役者

商業美術を新しい分野として
確立させたデザイナー
杉浦 非水
すぎうら ひすい (1876–1965)三越の嘱託社員としてPR誌の表紙デザインやポスターで一世を風靡。非水の描くアールヌーボーを取り入れた曲線的で装飾性の高い新しいデザインは、大正時代をリードしたモダンな雰囲気を象徴しています。


常識にとらわれない手法で
人々を驚かせたアイデアマン
片岡 敏郎
かたおか としろう (1882–1945)森永製菓や寿屋(サントリー)の広告で活躍したクリエイティブディレクター。本人はアドライターと称していました。日本で初めてのヌードポスター「赤玉ポートワイン」のほか、自ら商品を企画立案し、販売方法まで考え広告制作するなど、卓抜したアイデアを次々に打ち出しました。

いくつもの名企画を生んだ
敏腕コピーライター
岸本 水府
きしもと すいふ (1892–1965)川柳作家であり、福助足袋(福助)やグリコ(江崎グリコ)の広告で活躍して名を残したコピーライター。グリコの「豆文広告」連載、福助の「漫画広告」や百貨店を巡回する「展覧会」など、さまざまな名企画を生み出しました。
( 岸本水府肖像写真:番傘川柳本社所蔵)